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伝えたいこと2015 Vol.01


他者との関係の中に自分を発見する
榊原 博美
自分とは何であるか。一般的にはエリクソンが青年期の発達課題と掲げた「アイデンティティー」という意味合いでの「自分とは」への問いであると受けとめられることでしょう。実はここでの問いとそれへの答えは仏教の経典の中にあります。すなわち自分という言葉の成り立ちとして、自分とは自=自然、分=分身、であるというものです。とするならば、自分を大切にということは、自然の分身である自分を大切にすること、そして同じく自然の分身である他者を大切にすること。それがすなわち自然を大切にすることにつながるのではないでしょうか。僧侶であり、芥川賞作家でもある玄侑宗久さんが、「自然というのは、コントロール不能なもの。その自然の一部ということは、私たちは確固とした存在ではなく、揺れている存在だということです。揺れるとは、変化することですね。この『人は変わる』という考え方があるからこそ、教育や修行をする意味がある」と仰っていますが、教育を研究・実践する者として、まさに同感です。

私自身の青年期を振り返ってみれば、大変迷いの多い日々を送っていたように思われます。教員養成系の大学に進学したものの、すんなりと教壇に立つことへの迷いもありつつ、では何ができるのか、やりたいことがやれるわけではないという社会の壁にもぶつかりながら民間企業への就職や起業、出産育児など回り道したり寄り道したりの行きつ戻りつの日々の中、いろいろな人々との出会いや出遭いを経ることによってだんだんと自分の本当にやりたいこと、進みたい道がわかって来たように思います。ですから今青年期真っ只中のみなさんが確固たる「自分とは」を確立していないとしてもアイデンティティ拡散だなどと心配したり焦ったりする必要はないと思います。

 先ほどの問いへの答えに戻りますが、最近感じているのは、次世代を育成していく中で社会の持続可能性が非常に心配な状況にあることです。人間も自然の一部と考えるならば自然から離れれば離れるほどお互いが自分を見失う状況に陥っているということです。ここでお互いと言ったのは、人間は自分一人で存在しているのではないからです。みなさんは、自分の本当の顔を見たことがありますか?本当の顔というのは鏡に映った顔ではありません。鏡の顔は左右反対に映った本当の自分とは真逆の顔ですね。写真では把握しているかもしれませんが、日々揺れ動き変化する自分の顔を一生観ることなく過ごす。そうだとすれば自分を知るにはどうすればいいでしょう?それは他者を通して観るしかありません。他者と出遭い、出会っていく中で他者の表情や反応から自分とは何かが見えてくる。他者が悲しそうな顔をすればそれは自分が何を投げかけたのか、他者から受けた仕打ちが辛いならそれは自分が他者に何を投げかけてきたのか、他者が微笑みを浮かべれば自分も微笑を浮かべている。そんな関係性の中に自身を発見していくことで自分とは何かが見えてくるのではないかと思います。

ですから大学生活でも社会に出てからもいろいろな出遭いと出会いを大切にして自然の分身としての自分と同じく自然の分身としての他者と大元の自然を大切にして持続可能な社会を一緒につくっていきましょう。

公開日:2015年10月